伊藤慎介の”Talk Is Cheap” ~起業家へと転身した元官僚のリアルな産業論 第4回 起業未経験者がベンチャー起業をあおるのはどうなのか
2017/5/7(日)
起業直後のことである。それまでにお付き合いのあったダイヤモンド社からの依頼を受け、ダイヤモンド・オンラインに「元経産官僚・伊藤慎介の“天落”奮闘記」という連載を担当させていただいた。
起業から3カ月後の2014年12月に掲載が始まり、最終回である第10回が掲載されたのは起業から半年後の2015年4月22日である。
今になってその最終回である第10回を振り返ると、そのタイトルは「起業で仕事は100倍楽しくなる ! リスクを恐れず未来を創ろう」となっており、何となく起業することをお勧めするような内容となっている。
http://diamond.jp/articles/-/70504
起業してから2年4か月が経過したが、この短い間でもこれまでの経験はスリル満点であり、相当な凸凹道であった。そして今も様々な不透明感がある中で会社の経営に携わっており、一つの判断ミスが会社全体の存否につながる緊張感のある毎日を送っている。
そういう経験を積み重ねていくと、安定した職業である公務員の人たちや様々なセーフティーネットが用意されている大企業の人たちに対して、安易に起業をお勧めしてはならないと思い始めており、過去に書いた自らの連載の主張に対して否定的になりつつある。
しかし、世の中は依然として“起業をあおる”雰囲気が蔓延しているように感じる。
やたらと開かれているベンチャーのピッチイベント
起業してインキュベーションオフィスに入っていると、やたらと“ピッチイベント”なるものへのお誘いが来るようになる。ベンチャー企業が50社~100社程度集められ、ベンチャーキャピタル、銀行、大企業などの前で2分~5分程度の短いプレゼンテーションを行うイベントのことだ。
ピッチイベントの中には選考の上で優秀と認められたベンチャーを表彰し、資金提供などの特典を与えるものも多い。
NEDOが開催しているピッチイベントのTCP
最近のベンチャーブームを受けて、メディア系、銀行系、証券系、政府系など様々な機関が主催し、数多くのピッチイベントが日本各地で開催されている。
そういう私もインキュベーションオフィスに入居していた際には、経済産業省系の政府関係機関であるNEDOが開催するTechnology Comm-ercialization Program(TCP)というピッチイベントに参加し、優勝特典であるシリコンバレー派遣を夢見てプレゼンテーションをした経験がある。結果は第一次選考通過、第二次選考落選という惨めな顛末だったのであるが。
ところが最近になって聞いて驚いたのは、ベンチャー企業のアイデアを“盗む”ためにピッチイベントに来ている大企業が少なからずいるということだ。
今になって振り返れば、ピッチイベントという構造自体がベンチャー企業を小ばかにしていると思わざるを得ない。ヒト・モノ・カネがなく吹けば飛ぶようなベンチャー企業に対して、忙しい大企業の社員が“わざわざ来て”話を聞いてやるのだから、短い時間で簡潔に説明するのが当然だろうという立てつけになっていること自体がそうだ。
まさに“美人コンテスト”のような形で比較されるわけだが、その結果として“スター”を確実に生み出していくなら理解できるものの、真剣に準備をして簡潔にまとめたベンチャー企業のプレゼンテーションを聞いて自社の新規事業のネタにしようと企む大企業が聴衆にいるとすると、これほどの差別はないだろう。
ベンチャー企業と言っても、株式会社である限りはどんなに資本金・売り上げ・社員数が少なかろうとちゃんとした“法人”なのである。法人という資格がある限り、規模の差があったとしても法人同士の関係は対等でなければならないと思う。そうであれば、ベンチャーだけがプレゼンテーションを行うのではなく、大企業とベンチャーの双方がプレゼンテーションをし、関心のあう会社同士が個別に話し合うというスタイルを取るべきではないだろうか。
主催している大企業や参加している大企業が本気でベンチャー企業と組もうと思っていない限り、ピッチイベントの大半はベンチャー企業にとって時間と労力の無駄遣いを強要し、彼らのアイデアを食い物にする活動だと言わざるを得ない。
拡大する中央省庁のベンチャー振興策
政府や自治体のベンチャー振興策も拡大傾向にある。
代表格というべき政策が、一次選考で私が落選した「研究開発型ベンチャー支援事業」である。前述のNEDOが実施している事業であり、大企業や大学などに勤務する「起業家候補」を対象に、選定されると年間で650万円/人の給与と1500万円/チームの活動費が支払われるという破格の支援を受けることが出来る。
一次選考で落選した「研究開発型ベンチャー支援事業」の通知書
また、文部科学省では、「大学発」ベンチャーを積極的に推進しており、大学と民間人材のマッチングによる大学発ベンチャーの創出を支援するSTARTプログラムを始め、東京大学、京都大学、大阪大学、東北大学の4大学へのベンチャーキャピタル創設、JSTによる研究開発型ベンチャーへの出資など、大学の研究成果をシーズとして起業することをあらゆる角度から推進している。
昨年4月に取りまとめられた「ベンチャー・チャレンジ2020」には、2022年までに開業率を倍増するとともに、ベンチャー企業へのVC投資額を倍増するとある。
出展:http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2016/seicho_senryaku/venture_challenge2020.pdf
その上で、前述した政策を含め、政府が充実させようとしているあらゆるベンチャー支援策について網羅されている。
バブル崩壊以降、約30年に渡って低成長を続けている我が国を尻目に、世界ではグーグル、アップル、アマゾン、フェイスブック、アリババなどベンチャー企業から立ち上がった企業が時価総額上位を占める大企業に成長している。
一方で、我が国では日本経済を支える2本柱の一つであった電機産業が苦戦し、それに代わる新しい産業を生み出せないまま、もう一つの柱である自動車産業が一本足打法で日本経済を支える状態となってしまっている。
このような事実を目の当たりにし、政府としても「次の大企業」となるベンチャー企業を生み出さなければ高い経済成長を期待できないという気持ちになったのだろう。
そして、起業を積極的に推進している中央政府に倣って地方自治体でも同様の政策が打ち出されており、日本各地で起業家向けのセミナーが開催されたり、ベンチャー企業のためのインキュベーションオフィスが開設されたりしている。
しかし、起業すること、ベンチャー企業を経営することの難しさを肌で理解していない役人が起業をあおることは甚だ無責任ではないかと思ってしまう。
仕事をもらえそうな人からもらえないという現実
経済産業省を辞めて一番ショックだったことは、経済産業省時代に付き合っていた人の中で、自分が辞めたら仕事をくれるのではないかと予想していた人からは一切仕事をもらえなかったという事実だ。
役所の内と外の境界をうろうろとしていた自分としては、外の世界を見せてくれる人であれば自分が飛び出した際に協力してくれるだろうと勝手に思い込んでいた。ところが、そういう人にとって私は“外の世界について理解のある”役人に過ぎず、結局役所から出てしまうと価値がなくなってしまったのだろう。前回のオープンイノベーションの議論とも通ずる話である。
実際に私に仕事を下さっているのは、今現在も含め、大半は全く想定していなかった人たちなのである。
車両の開発に膨大な費用がかかっている当社では、開発費と会社の経費を支払ってしまうと役員に報酬を支払う余裕がないことから、約1年近く役員報酬が払えない状況が続いている。したがって、自分自身の生計は別の会社から頂く顧問料で立てている。
更に、創業時に調達した開発費はプロトタイプを作るために全て使い果たしてしまったため、現在発生している開発費と経費は、私自身がコンサルティングや講演などで売上を立てることで賄っている。
そして、実際に顧問料、コンサルティング費、講演料などのお仕事を下さっているのは、大半が起業後に出会った人たちなのである。
このような経験から分かったことは、自分がやりたいことでお金を稼ぐのは簡単ではなく、誰かの役に立たなければお金を稼ぐことが出来ないという事実である。そして、自分がどういうことで誰かの役に立てるかどうかは、独立して色々と挑戦してみない限りなかなか見えてこないのが現実であるということなのだ。
起業前の私は、今のような形で仕事をしている自分を全く想像することが出来なかった。ということは、今現在において大企業、大学、官庁など大きな組織で働いている人が仮に起業して独立した場合、実際にしっかりと生計を立てられるかどうかは全く想像が出来ない。
したがって、お金を稼いで生計を立てるという一点だけを見ても、「起業した方が良いのではないか」とは簡単に勧められないというのが正直な気持ちなのである。
給与振振込、登記、税金など面倒な手続きが満載
起業して株式会社を設立すると、お金を稼ぐ大変さに加え、サラリーマン時代には想像していないような面倒な手続きに追われることになる。
当たり前のように毎月振り込まれていた給与は、自ら振り込まなければならなくなる。毎月の給料日に自動的に給与が振り込まれるようにするためには銀行に膨大な手数料を支払う必要があることから、自らATMに並んで機械を操作しながら振り込むのである。オンラインで振り込めば随分と楽になるのだが、法人の場合はオンラインだと手数料が108円余分にかかるので、ATMに並ぶ方が安上がりなのだ。
したがって、給料日として一般的である毎月25日には数多くの中小企業の給与担当がATMで給与振込を行うためとんでもなくATMが混雑する。そんなことを全く知らなかった私は25日を給料日としていたのであるが、ATMに並ぶ時間の無駄を知って途中から20日に変更した。
こういう経験をすると毎月同じ日にちゃんと給料が振り込まれていることが、どれほどすごいことでありがたいことであったかを身に染みて知るのである。給与に続いて面倒なのが登記である。
株式会社を設立するためには、法務局に登記する必要があるのだが、そのためには書類を作成し、資本金を振り込んだことを証明するコピーを取り、創業メンバーが捺印し、公証人役場において公証人のチェックと証明を受ける必要がある。そして、最終的には法務局での書類審査を受けた後に正式に届出が受理されるというプロセスを経る。
こ法務局への登記は、設立時だけでなく、本社移転(本店移転という)、追加出資(第三者割当増資という)、取締役追加などの度に行う必要があり、その度に書類審査と届出内容に応じて設定された手数料(1万円~)の支払いが発生するのである。
中でも重要なのは法務局で届出を受理してもらう前の書類審査である。担当の法務局まで出向き、「相談窓口」と書かれたブースで担当官に書類をチェックしてもらい、不備がないことが確認できない限り受理してもらえないのである。
法務局のホームページに掲載されているフォーマットになるべく忠実に従えば書類審査は通過しやすいのであるが、会社の状況などによって使うべきフォーマットの種類や用意すべき書類が異なるため、なかなか手間のかかる作業なのである。
官庁における事務手続きについては相場観がある元役人の私であっても間違いを指摘されたり、書類の不備があり出直さなければならなかったりするのであるから、役所での経験が全くない起業家が対応するのはなかなか大変だろうと想像してしまう。
事務手続きで最も大変なのが税務である。
国税と地方税の二種類があるため、届出や書類提出の度にそれぞれの税金事務所に足を運ばなければならない。そして、源泉徴収、年末調整(法定調書)、法人税確定申告、固定資産税など、毎年いくつもの書類作成と提出を求められる。
顧問税理士を雇えばよいのだろうが、そのために毎月3万円程度の固定費と決算期の20万円程度の手数料を支払うのも売り上げの少ないベンチャー企業にとっては大きな負担となる。そもそも、税金を払うために税理士に費用を払わざるを得ない仕組み自体が大きな問題であり、ベンチャー企業や零細企業の場合は誰でも簡単に税務書類を作成できる仕組みにすべきではないかと思ってしまう。
起業経験のない役人やサラリーマンは、起業するとこれほどの面倒な手続きが発生することを十分に理解していないはずである。私のように数多くの行政手続きを経験してきた元役人であっても大変だと思うのであるから、研究者、エンジニア、学生といった人たちが起業した場合にはどれほど苦労するだろうかと気の毒になってしまう。
毎年提出を求められる税務書類
起業をあおるよりも起業家が生きていきやすい社会にすべき
ここまで書くと起業を考えている人は二の足を踏んでしまうだろう。
私の場合、電気自動車やそれを取り巻く新しい世界を創りたいという強い気持ちがあり、そのために役所を辞めて新しいことにチャレンジしたいという気持ちと、何となく起業に対するあこがれは持っていた。だが、起業することがどれほど大変なのか、特にお金を稼いだり集めたりすることの大変さについては十分な事前検証を行わないまま踏み出したというのが実情である。
今回のコラムでは会社経営のための収入確保や事務手続きに焦点を当てたが、起業するメンバーとの関係性、資金調達に関するベンチャーキャピタルやエンジェルとの関係性など、ここでは取り上げていない多種多様な苦労があることも付け加えておきたい。
つまり、本当に起業するのであれば、世の中を変える素晴らしいアイデアだけでは不十分なのだ。一緒に苦難を乗り越えてくれる仲間、そしてどんなに大変なことも何とかして乗り越えようとする覚悟と責任感が必要不可欠なのである。
ピッチイベントの開催、起業時の資金補助などによって無責任に起業をあおるよりも、起業して収入に困っているベンチャーに対して受注を出す、自らの組織が持っているリソースをベンチャー企業に対して提供する(モノ、ヒト、カネ、場所、情報など)、ベンチャーキャピタルからの資金調達がしやすいよう会社としての協力姿勢を明確化するなど、起業家が少しでも夢を追い求めやすいような協力をすることの方がよっぽど意味があると思う。
今の日本は起業家にとってまだまだ生きづらい社会なのだ。アメリカのようにベンチャー企業が大企業として成長できる社会にしていきたいのであれば、起業家が生きていきやすい社会にしなければならない。そういう社会の実現のために多くの社会人が本気で協力すれば、世の中を変えたいという意思のある起業家は自然と増えていくだろう。
著者紹介
伊藤慎介(株式会社rimOnO 代表取締役社長)
1999年に旧通商産業省(経済産業省)に入省し、自動車、IT、エレクトロニクス、航空機などの分野で複数の国家プロジェクトに携わる。2014年に退官し、同年9月、有限会社znug design(ツナグデザイン)代表の根津孝太氏とともに、株式会社rimOnOを設立。
起業から3カ月後の2014年12月に掲載が始まり、最終回である第10回が掲載されたのは起業から半年後の2015年4月22日である。
今になってその最終回である第10回を振り返ると、そのタイトルは「起業で仕事は100倍楽しくなる ! リスクを恐れず未来を創ろう」となっており、何となく起業することをお勧めするような内容となっている。
http://diamond.jp/articles/-/70504
起業してから2年4か月が経過したが、この短い間でもこれまでの経験はスリル満点であり、相当な凸凹道であった。そして今も様々な不透明感がある中で会社の経営に携わっており、一つの判断ミスが会社全体の存否につながる緊張感のある毎日を送っている。
そういう経験を積み重ねていくと、安定した職業である公務員の人たちや様々なセーフティーネットが用意されている大企業の人たちに対して、安易に起業をお勧めしてはならないと思い始めており、過去に書いた自らの連載の主張に対して否定的になりつつある。
しかし、世の中は依然として“起業をあおる”雰囲気が蔓延しているように感じる。
やたらと開かれているベンチャーのピッチイベント
起業してインキュベーションオフィスに入っていると、やたらと“ピッチイベント”なるものへのお誘いが来るようになる。ベンチャー企業が50社~100社程度集められ、ベンチャーキャピタル、銀行、大企業などの前で2分~5分程度の短いプレゼンテーションを行うイベントのことだ。
ピッチイベントの中には選考の上で優秀と認められたベンチャーを表彰し、資金提供などの特典を与えるものも多い。
NEDOが開催しているピッチイベントのTCP
最近のベンチャーブームを受けて、メディア系、銀行系、証券系、政府系など様々な機関が主催し、数多くのピッチイベントが日本各地で開催されている。
そういう私もインキュベーションオフィスに入居していた際には、経済産業省系の政府関係機関であるNEDOが開催するTechnology Comm-ercialization Program(TCP)というピッチイベントに参加し、優勝特典であるシリコンバレー派遣を夢見てプレゼンテーションをした経験がある。結果は第一次選考通過、第二次選考落選という惨めな顛末だったのであるが。
ところが最近になって聞いて驚いたのは、ベンチャー企業のアイデアを“盗む”ためにピッチイベントに来ている大企業が少なからずいるということだ。
今になって振り返れば、ピッチイベントという構造自体がベンチャー企業を小ばかにしていると思わざるを得ない。ヒト・モノ・カネがなく吹けば飛ぶようなベンチャー企業に対して、忙しい大企業の社員が“わざわざ来て”話を聞いてやるのだから、短い時間で簡潔に説明するのが当然だろうという立てつけになっていること自体がそうだ。
まさに“美人コンテスト”のような形で比較されるわけだが、その結果として“スター”を確実に生み出していくなら理解できるものの、真剣に準備をして簡潔にまとめたベンチャー企業のプレゼンテーションを聞いて自社の新規事業のネタにしようと企む大企業が聴衆にいるとすると、これほどの差別はないだろう。
ベンチャー企業と言っても、株式会社である限りはどんなに資本金・売り上げ・社員数が少なかろうとちゃんとした“法人”なのである。法人という資格がある限り、規模の差があったとしても法人同士の関係は対等でなければならないと思う。そうであれば、ベンチャーだけがプレゼンテーションを行うのではなく、大企業とベンチャーの双方がプレゼンテーションをし、関心のあう会社同士が個別に話し合うというスタイルを取るべきではないだろうか。
主催している大企業や参加している大企業が本気でベンチャー企業と組もうと思っていない限り、ピッチイベントの大半はベンチャー企業にとって時間と労力の無駄遣いを強要し、彼らのアイデアを食い物にする活動だと言わざるを得ない。
拡大する中央省庁のベンチャー振興策
政府や自治体のベンチャー振興策も拡大傾向にある。
代表格というべき政策が、一次選考で私が落選した「研究開発型ベンチャー支援事業」である。前述のNEDOが実施している事業であり、大企業や大学などに勤務する「起業家候補」を対象に、選定されると年間で650万円/人の給与と1500万円/チームの活動費が支払われるという破格の支援を受けることが出来る。
一次選考で落選した「研究開発型ベンチャー支援事業」の通知書
また、文部科学省では、「大学発」ベンチャーを積極的に推進しており、大学と民間人材のマッチングによる大学発ベンチャーの創出を支援するSTARTプログラムを始め、東京大学、京都大学、大阪大学、東北大学の4大学へのベンチャーキャピタル創設、JSTによる研究開発型ベンチャーへの出資など、大学の研究成果をシーズとして起業することをあらゆる角度から推進している。
昨年4月に取りまとめられた「ベンチャー・チャレンジ2020」には、2022年までに開業率を倍増するとともに、ベンチャー企業へのVC投資額を倍増するとある。
出展:http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2016/seicho_senryaku/venture_challenge2020.pdf
その上で、前述した政策を含め、政府が充実させようとしているあらゆるベンチャー支援策について網羅されている。
バブル崩壊以降、約30年に渡って低成長を続けている我が国を尻目に、世界ではグーグル、アップル、アマゾン、フェイスブック、アリババなどベンチャー企業から立ち上がった企業が時価総額上位を占める大企業に成長している。
一方で、我が国では日本経済を支える2本柱の一つであった電機産業が苦戦し、それに代わる新しい産業を生み出せないまま、もう一つの柱である自動車産業が一本足打法で日本経済を支える状態となってしまっている。
このような事実を目の当たりにし、政府としても「次の大企業」となるベンチャー企業を生み出さなければ高い経済成長を期待できないという気持ちになったのだろう。
そして、起業を積極的に推進している中央政府に倣って地方自治体でも同様の政策が打ち出されており、日本各地で起業家向けのセミナーが開催されたり、ベンチャー企業のためのインキュベーションオフィスが開設されたりしている。
しかし、起業すること、ベンチャー企業を経営することの難しさを肌で理解していない役人が起業をあおることは甚だ無責任ではないかと思ってしまう。
仕事をもらえそうな人からもらえないという現実
経済産業省を辞めて一番ショックだったことは、経済産業省時代に付き合っていた人の中で、自分が辞めたら仕事をくれるのではないかと予想していた人からは一切仕事をもらえなかったという事実だ。
役所の内と外の境界をうろうろとしていた自分としては、外の世界を見せてくれる人であれば自分が飛び出した際に協力してくれるだろうと勝手に思い込んでいた。ところが、そういう人にとって私は“外の世界について理解のある”役人に過ぎず、結局役所から出てしまうと価値がなくなってしまったのだろう。前回のオープンイノベーションの議論とも通ずる話である。
実際に私に仕事を下さっているのは、今現在も含め、大半は全く想定していなかった人たちなのである。
車両の開発に膨大な費用がかかっている当社では、開発費と会社の経費を支払ってしまうと役員に報酬を支払う余裕がないことから、約1年近く役員報酬が払えない状況が続いている。したがって、自分自身の生計は別の会社から頂く顧問料で立てている。
更に、創業時に調達した開発費はプロトタイプを作るために全て使い果たしてしまったため、現在発生している開発費と経費は、私自身がコンサルティングや講演などで売上を立てることで賄っている。
そして、実際に顧問料、コンサルティング費、講演料などのお仕事を下さっているのは、大半が起業後に出会った人たちなのである。
このような経験から分かったことは、自分がやりたいことでお金を稼ぐのは簡単ではなく、誰かの役に立たなければお金を稼ぐことが出来ないという事実である。そして、自分がどういうことで誰かの役に立てるかどうかは、独立して色々と挑戦してみない限りなかなか見えてこないのが現実であるということなのだ。
起業前の私は、今のような形で仕事をしている自分を全く想像することが出来なかった。ということは、今現在において大企業、大学、官庁など大きな組織で働いている人が仮に起業して独立した場合、実際にしっかりと生計を立てられるかどうかは全く想像が出来ない。
したがって、お金を稼いで生計を立てるという一点だけを見ても、「起業した方が良いのではないか」とは簡単に勧められないというのが正直な気持ちなのである。
給与振振込、登記、税金など面倒な手続きが満載
起業して株式会社を設立すると、お金を稼ぐ大変さに加え、サラリーマン時代には想像していないような面倒な手続きに追われることになる。
当たり前のように毎月振り込まれていた給与は、自ら振り込まなければならなくなる。毎月の給料日に自動的に給与が振り込まれるようにするためには銀行に膨大な手数料を支払う必要があることから、自らATMに並んで機械を操作しながら振り込むのである。オンラインで振り込めば随分と楽になるのだが、法人の場合はオンラインだと手数料が108円余分にかかるので、ATMに並ぶ方が安上がりなのだ。
したがって、給料日として一般的である毎月25日には数多くの中小企業の給与担当がATMで給与振込を行うためとんでもなくATMが混雑する。そんなことを全く知らなかった私は25日を給料日としていたのであるが、ATMに並ぶ時間の無駄を知って途中から20日に変更した。
こういう経験をすると毎月同じ日にちゃんと給料が振り込まれていることが、どれほどすごいことでありがたいことであったかを身に染みて知るのである。給与に続いて面倒なのが登記である。
株式会社を設立するためには、法務局に登記する必要があるのだが、そのためには書類を作成し、資本金を振り込んだことを証明するコピーを取り、創業メンバーが捺印し、公証人役場において公証人のチェックと証明を受ける必要がある。そして、最終的には法務局での書類審査を受けた後に正式に届出が受理されるというプロセスを経る。
こ法務局への登記は、設立時だけでなく、本社移転(本店移転という)、追加出資(第三者割当増資という)、取締役追加などの度に行う必要があり、その度に書類審査と届出内容に応じて設定された手数料(1万円~)の支払いが発生するのである。
中でも重要なのは法務局で届出を受理してもらう前の書類審査である。担当の法務局まで出向き、「相談窓口」と書かれたブースで担当官に書類をチェックしてもらい、不備がないことが確認できない限り受理してもらえないのである。
法務局のホームページに掲載されているフォーマットになるべく忠実に従えば書類審査は通過しやすいのであるが、会社の状況などによって使うべきフォーマットの種類や用意すべき書類が異なるため、なかなか手間のかかる作業なのである。
官庁における事務手続きについては相場観がある元役人の私であっても間違いを指摘されたり、書類の不備があり出直さなければならなかったりするのであるから、役所での経験が全くない起業家が対応するのはなかなか大変だろうと想像してしまう。
事務手続きで最も大変なのが税務である。
国税と地方税の二種類があるため、届出や書類提出の度にそれぞれの税金事務所に足を運ばなければならない。そして、源泉徴収、年末調整(法定調書)、法人税確定申告、固定資産税など、毎年いくつもの書類作成と提出を求められる。
顧問税理士を雇えばよいのだろうが、そのために毎月3万円程度の固定費と決算期の20万円程度の手数料を支払うのも売り上げの少ないベンチャー企業にとっては大きな負担となる。そもそも、税金を払うために税理士に費用を払わざるを得ない仕組み自体が大きな問題であり、ベンチャー企業や零細企業の場合は誰でも簡単に税務書類を作成できる仕組みにすべきではないかと思ってしまう。
起業経験のない役人やサラリーマンは、起業するとこれほどの面倒な手続きが発生することを十分に理解していないはずである。私のように数多くの行政手続きを経験してきた元役人であっても大変だと思うのであるから、研究者、エンジニア、学生といった人たちが起業した場合にはどれほど苦労するだろうかと気の毒になってしまう。
毎年提出を求められる税務書類
起業をあおるよりも起業家が生きていきやすい社会にすべき
ここまで書くと起業を考えている人は二の足を踏んでしまうだろう。
私の場合、電気自動車やそれを取り巻く新しい世界を創りたいという強い気持ちがあり、そのために役所を辞めて新しいことにチャレンジしたいという気持ちと、何となく起業に対するあこがれは持っていた。だが、起業することがどれほど大変なのか、特にお金を稼いだり集めたりすることの大変さについては十分な事前検証を行わないまま踏み出したというのが実情である。
今回のコラムでは会社経営のための収入確保や事務手続きに焦点を当てたが、起業するメンバーとの関係性、資金調達に関するベンチャーキャピタルやエンジェルとの関係性など、ここでは取り上げていない多種多様な苦労があることも付け加えておきたい。
つまり、本当に起業するのであれば、世の中を変える素晴らしいアイデアだけでは不十分なのだ。一緒に苦難を乗り越えてくれる仲間、そしてどんなに大変なことも何とかして乗り越えようとする覚悟と責任感が必要不可欠なのである。
ピッチイベントの開催、起業時の資金補助などによって無責任に起業をあおるよりも、起業して収入に困っているベンチャーに対して受注を出す、自らの組織が持っているリソースをベンチャー企業に対して提供する(モノ、ヒト、カネ、場所、情報など)、ベンチャーキャピタルからの資金調達がしやすいよう会社としての協力姿勢を明確化するなど、起業家が少しでも夢を追い求めやすいような協力をすることの方がよっぽど意味があると思う。
今の日本は起業家にとってまだまだ生きづらい社会なのだ。アメリカのようにベンチャー企業が大企業として成長できる社会にしていきたいのであれば、起業家が生きていきやすい社会にしなければならない。そういう社会の実現のために多くの社会人が本気で協力すれば、世の中を変えたいという意思のある起業家は自然と増えていくだろう。
著者紹介
伊藤慎介(株式会社rimOnO 代表取締役社長)
1999年に旧通商産業省(経済産業省)に入省し、自動車、IT、エレクトロニクス、航空機などの分野で複数の国家プロジェクトに携わる。2014年に退官し、同年9月、有限会社znug design(ツナグデザイン)代表の根津孝太氏とともに、株式会社rimOnOを設立。