伊藤慎介の “Talk is Chap” 〜起業家へと転身した元官僚のリアルな産業論 第2回 日本のものづくりの底力を日本人は活かしきれていないのではないか
2017/11/22(水)
現役官僚時代である2013年4月に、ダイヤモンド・オンラインにおいて『現役官僚が提言!日本のモノづくり衰退の真因は組織的うつ病による「公私混同人材」の死蔵である』という刺激的なタイトルで日本のモノづくりを論じた。
http://diamond.jp/articles/-/34702
90年代以降、パソコン、携帯電話、液晶テレビ、デジタルオーディオ、太陽光パネル、リチウムイオン電池など、日本企業が強みを誇っていた分野において次々と国際競争力を失っていったわけだが、その主な原因は戦略的なものよりも、企業マインドによるものが大きいのではないかと論じたのである。
[LIGARE vol.31 (2017.1.31発行) より記事を再構成]
具体的には、デジタルオーディオプレイヤー、スマートフォン、タブレットを生み出したアップルの例を出し、アップルがあのような魅力的なプロダクトを世の中に送り出せたのは、スティーブ・ジョブズ氏が一消費者として欲しいプロダクトのイメージがあり、そのイメージを具現化すべく本人のみならず、社員やサプライヤーが一丸となってプロダクトの実現に向けて努力したからなのではないかと述べたのだ。
一方で、多くの日本のものづくり企業においては、自らが「欲しい」と思えるプロダクトを作らせてもらえる環境がなく、しぶしぶ会社のために「作らされている」という状況が多いのではないか、その結果、作り手が本当に「欲しい」と思えるものを作っているのかを疑問視したくなるようなプロダクトが増えているのではないかと主張したのである。
ものづくりを一切やったことのない現役官僚が、大企業を「うつ病」と呼び、多くの日本製のプロダクトは「つまらない」と上から目線で断じたわけだから、SNSなどでの批判は錚々たるものであった。「お前に言われる筋合いはない」「そんなことを言う前に役人としてやるべきことをちゃんとしろ」など散々な言われようであり、「炎上」とはまさにこのことだと肌で感じたものである。
それから1年後、私は経済産業省から退官することを決意し、超小型の電気自動車に取り組むべく工業デザイナーの根津孝太と会社を立ち上げることになった。まさに自ら「ものづくり」に取り組むことになったのである。
そして、起業から1年8か月後にプロトタイプが完成したわけだが、そのプロセスを通して日本のものづくりを実体験し、その素晴らしさに心から感激した。
ものづくり会社の社長をやって2年経った今、改めて言いたい。「日本のものづくりに魅力が足りないのは、『マインド』の問題である」と。そう思うことになった実体験を紹介していきたい。
経産省を辞めたことや新しい会社を作ったことなど一通り近況報告した後に、その社長から唐突に「紹介したい人がいる」といって名刺交換したのがドリームスデザイン社の社長である奥村康之氏であった。
奥村氏は自らがシート設計のエンジニアであり、彼が経営するドリームスデザイン社はシート、ボディ、内装や外装などクルマのさまざまなパーツを設計することができるエンジニアのプロ集団である。同社は、主にトヨタ自動車系例の会社から設計を受託することで成長してきたのであるが、奥村氏としてはこれまでの車両設計のノウハウを活用してクルマ全体に挑戦してみたいということからrimOnOに興味を持ったとのことであった。
私の名古屋での滞在時間が限られていたことからその場ではほとんど挨拶するだけで終わってしまったこともあり、奥村氏はその後の11月26日に私に会うためにわざわざ上京し、是非ともrimOnOに関わらせてほしいという思いをぶつけてきたのである。
影も形もない状態から、クルマのコンセプトづくりや意匠製作までが工業デザイナーである根津の仕事とすると、その状態から作り手が作業できる図面までを作り上げるのが設計会社の仕事である。そのため、設計会社はどういうクルマを作りたいのかというコンセプトだけでなく、それを何台作るのか、誰が作るのか、どうやって作るのか、いくらで作るのかなど、生産に関わるあらゆる要素を満たしながらつまみ一つ、ボルト一つまで詳細な設計を固めていくことが求められる。
rimOnOは大手メーカーの量産車とは異なり、前例や正しい方法があるわけでなく、作り手や作り方も含めてゼロから考えなければならないプロジェクトである。そのため、設計会社を選ぶ際には、前述のような詳細設計に必要となる一つ一つの要素について私や根津と一緒に考えてくれる会社が求められていた。
ドリームスデザイン社は、社長の奥村氏と専務の鳥羽氏の二人が中心となり、相当な投資スタンスで我々が悩んでいたさまざまな要素についてひざ詰めで一緒に考え、一緒に答えを出してくれた。
実は、設計会社としては他社にも声をかけたのであるが、最初から最後までずっと付き合ってくれたのはドリームスデザイン社のみであった。そして、彼らはrimOnOを形にする上で不可欠となる試作会社の取りまとめや試作車の完成までを一手に引き受けてくれたのである。
http://diamond.jp/articles/-/34702
90年代以降、パソコン、携帯電話、液晶テレビ、デジタルオーディオ、太陽光パネル、リチウムイオン電池など、日本企業が強みを誇っていた分野において次々と国際競争力を失っていったわけだが、その主な原因は戦略的なものよりも、企業マインドによるものが大きいのではないかと論じたのである。
[LIGARE vol.31 (2017.1.31発行) より記事を再構成]
具体的には、デジタルオーディオプレイヤー、スマートフォン、タブレットを生み出したアップルの例を出し、アップルがあのような魅力的なプロダクトを世の中に送り出せたのは、スティーブ・ジョブズ氏が一消費者として欲しいプロダクトのイメージがあり、そのイメージを具現化すべく本人のみならず、社員やサプライヤーが一丸となってプロダクトの実現に向けて努力したからなのではないかと述べたのだ。
一方で、多くの日本のものづくり企業においては、自らが「欲しい」と思えるプロダクトを作らせてもらえる環境がなく、しぶしぶ会社のために「作らされている」という状況が多いのではないか、その結果、作り手が本当に「欲しい」と思えるものを作っているのかを疑問視したくなるようなプロダクトが増えているのではないかと主張したのである。
ものづくりを一切やったことのない現役官僚が、大企業を「うつ病」と呼び、多くの日本製のプロダクトは「つまらない」と上から目線で断じたわけだから、SNSなどでの批判は錚々たるものであった。「お前に言われる筋合いはない」「そんなことを言う前に役人としてやるべきことをちゃんとしろ」など散々な言われようであり、「炎上」とはまさにこのことだと肌で感じたものである。
それから1年後、私は経済産業省から退官することを決意し、超小型の電気自動車に取り組むべく工業デザイナーの根津孝太と会社を立ち上げることになった。まさに自ら「ものづくり」に取り組むことになったのである。
そして、起業から1年8か月後にプロトタイプが完成したわけだが、そのプロセスを通して日本のものづくりを実体験し、その素晴らしさに心から感激した。
ものづくり会社の社長をやって2年経った今、改めて言いたい。「日本のものづくりに魅力が足りないのは、『マインド』の問題である」と。そう思うことになった実体験を紹介していきたい。
設計から試作までを一手に引き受けてくれたドリームスデザイン社との出会い
rimOnOを創業してから約2か月が経過した2014年11月6日、私は顧問先からの依頼で名古屋に出張していた。午前中に出張の主目的である面談に参加した後、かつて航空機産業を担当していたときに親しくしていた航空機の設計会社の社長と久しぶりにお会いすべく金山駅近くのインキュベーション施設に向かった。経産省を辞めたことや新しい会社を作ったことなど一通り近況報告した後に、その社長から唐突に「紹介したい人がいる」といって名刺交換したのがドリームスデザイン社の社長である奥村康之氏であった。
奥村氏は自らがシート設計のエンジニアであり、彼が経営するドリームスデザイン社はシート、ボディ、内装や外装などクルマのさまざまなパーツを設計することができるエンジニアのプロ集団である。同社は、主にトヨタ自動車系例の会社から設計を受託することで成長してきたのであるが、奥村氏としてはこれまでの車両設計のノウハウを活用してクルマ全体に挑戦してみたいということからrimOnOに興味を持ったとのことであった。
私の名古屋での滞在時間が限られていたことからその場ではほとんど挨拶するだけで終わってしまったこともあり、奥村氏はその後の11月26日に私に会うためにわざわざ上京し、是非ともrimOnOに関わらせてほしいという思いをぶつけてきたのである。
影も形もない状態から、クルマのコンセプトづくりや意匠製作までが工業デザイナーである根津の仕事とすると、その状態から作り手が作業できる図面までを作り上げるのが設計会社の仕事である。そのため、設計会社はどういうクルマを作りたいのかというコンセプトだけでなく、それを何台作るのか、誰が作るのか、どうやって作るのか、いくらで作るのかなど、生産に関わるあらゆる要素を満たしながらつまみ一つ、ボルト一つまで詳細な設計を固めていくことが求められる。
rimOnOは大手メーカーの量産車とは異なり、前例や正しい方法があるわけでなく、作り手や作り方も含めてゼロから考えなければならないプロジェクトである。そのため、設計会社を選ぶ際には、前述のような詳細設計に必要となる一つ一つの要素について私や根津と一緒に考えてくれる会社が求められていた。
ドリームスデザイン社は、社長の奥村氏と専務の鳥羽氏の二人が中心となり、相当な投資スタンスで我々が悩んでいたさまざまな要素についてひざ詰めで一緒に考え、一緒に答えを出してくれた。
実は、設計会社としては他社にも声をかけたのであるが、最初から最後までずっと付き合ってくれたのはドリームスデザイン社のみであった。そして、彼らはrimOnOを形にする上で不可欠となる試作会社の取りまとめや試作車の完成までを一手に引き受けてくれたのである。
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