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プレ・シンギュラリティとモビリティをテーマに年次大会開催 日本未来学会

2017/11/27(月)


第二部 クルマがなくなる日? ~“ホモ・モビリタス”の未来

第2部は日本未来学会常任理事・和田雅志氏による講演「ホモ・モビリタス」からはじまりました。

誕生以来移動を続けながら発達し、世界中にひろがった人類は、文字通り「ホモ・モビリタス=移動するヒト」です。人類がどのような手段でどのように移動してきたかを解説した和田氏に続いては、自動車評論家の鈴木正文が登壇。自動車の歴史と未来について語りました。

 

自動車評論家の鈴木正文氏。
「自動車は本来個人主義的な交通手段ですが、自動運転は民主主義的にならざるをえない」



鈴木氏は自動車について「民主主義的な鉄道に対し、自動車は個人主義的」と位置付けます。自動車の普及の歴史は経済の発達とほぼ同等のベクトルですすんできましたが、個人主義の発達とからめて考えると車社会とヒトとの関わり合いはより明確になります。

鈴木氏は、自動車は自動運転のレベルが上がるにつれて個人主義的な乗り物から民主主義的な乗り物になっていくとし、その普及には社会インフラの整備や都市構造、価値観など様々な面においても変革が必要になると説きます。一方で個人主義的な価値観が残る以上、自分で運転するタイプの自動車も存続していく可能性が大きいと指摘しました。

自動運転の発達につれていわれる「人と機械の一体化」についても、「人馬一体・人車一体」という言葉があるとおり、とくに運転感覚については以前から存在していたもので、それが技術の普及につれて再び論じられるようになった点が興味深いとしています。自動運転が普及すれば、自動車の運転はサーキットなどの一部で楽しむより趣味性の高い行為になるのかもしれません。

日本バリアフリー協会代表理事・貝谷嘉洋氏による障害者用モビリティユーザーからの報告に続き、最後に登壇したのは慶應義塾大学法学部教授の大屋雄裕氏。AIが普及した未来の社会を、社会構造や法律という観点から考えます。

例えば完全自動運転の自動車とヒトが運転する自動車の混走は非常にリスクが高いとされていますが、そのリスクを減らすには自動運転専用道路をつくり、ヒトが運転する自動車と分ける以外の方法が見出されていません。大屋氏は、安全かつ確実に目的地に着ける「幸福」か、安全性や確実性には欠けても好きに運転できる「自由」か、人類はどちらかを選択しなければならないときが来る可能性が非常に高いとしています。AIと自動運転の発達は、幸福と自由の両立ができない社会を呼ぶのかもしれません。

ヒトの仕事を代替できるようなAIの普及は必然といわれる一方、AIが普及し社会に浸透するためには多くの変革が必要とされています。それは技術的分野だけではなく、社会の仕組みや経済、インフラなどにおいても変革が求められています。そしてもっとも大きな変革を求められているのは、私たちヒトの意識なのかもしれません。

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